次の時代に新たな歴史を刻む人材育成のために更なる改革に挑戦していきます。
弘前学院は、本多庸一によって1886(明治19)年に設立されました。
本多庸一は、藩政時代には16歳の若さで津軽藩藩校の稽古館の司監(取締役)に抜擢された秀才ですが、のちに、新島襄、新渡戸稲造、内村鑑三、井深梶之助、植村正久らと並び称せられるキリスト者となりました。彼はキリスト教の精神を基に「畏神愛人」を信条とされました。この「畏神愛人」が弘前学院の建学の精神となっております。弘前学院は本多先生によってその母体が創設されて、今年で138年になります。
その後、学校組織としての充実・発展を遂げ、大学を設置したのが、1950(昭和25)年で、その時は「弘前聖愛短期大学」という名称でした。本学は、当初短期大学として設置され、発展を遂げ、それから数えて今年は74年になり、現在、3学部(文学部・社会福祉学部・看護学部)、大学院2研究科(文学研究科・社会福祉学研究科)を擁しております。
「畏神愛人」、これが本学の建学の精神ですが、これに基づく教育理念と教育方針については、「キリスト教信仰にもとづく教育をめざし、神の前に真実に生き、真理を謙虚に追求し、つつしんで神の御言葉を聞き、すべての人を大切にする畏神愛人の精神をもって、すべての人と社会とに対する責任を、積極的に果たす人間の形成」を目的としています。
大学の使命には教育・研究・社会貢献があります。より良く活きることができる社会を創り出す力を養う―大学での「学び」の目標を、建学の精神に基づきつつ、学問的に、また実践的に追究するのが、弘前学院大学の教育・研究・社会貢献の目的です。
そのために、徹底した少人数教育を主体に、教養すなわち歴史・文化・言語・精神に対する理解を深めつつ、基盤的知識・技能を十分に身に付け、それを土台にして、豊富な演習や実習での訓練を通して実践的・応用的能力を養成し、真の教養人、専門職業人の育成を目指しております。
この目的を効果的に実現するために、教育課程・カリキュラムの見直し・改善を不断におこなってきました。教育体制も、いろいろな資格試験などに対応できるカリキュラムを用意しておりますが、現に今も社会のニーズに対応した新しいカリキュラムの検討に入っております。いわゆる入り口から出口まで、面倒見が良い大学だと自負しております。
さて現代では、その大学だけでなく、他機関との連携によって、より一層の成果を産み出すことも期待されることから、地域社会や海外の大学等との連携を進めて行くために、アメリカ、韓国、中国の大学等機関との交流協定を結んでおります。
さらに、学園都市弘前には、6大学で構成される「大学コンソーシアム学都ひろさき」という大学間連携組織があり、相互の協力関係を結成し、市からの補助金も得て地域活動支援事業などを展開しております。
「嬋娟たる美女」(太宰治)と形容された秀峰・岩木山を望み、柔らかな緑に包まれ、厳かな雰囲気の漂う本学のシンボル・礼拝堂や、140年の歴史を刻む国指定重要文化財・外人宣教師館を擁し、学びには最適な穏やかで温かいキャンパス環境です。
みなさん、いっしょに学びましょう。