文学部 畠山 篤

教授

畠山 篤(ハタケヤマ アツシ)

略 歴【学歴】
 国学院大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学

【職歴】
 沖縄国際大学短期大学部国文科教授
 弘前学院大学文学部教授、同大学院文学研究科教授
学 位 博士(民俗学)(国学院大学)
担当する科目 キリスト教文化、日本文学概論A・B、日本古典文学史、古代文学、中世文学
 古代文学演習ⅠA・B、ⅡA・B、日本文学研究B(散文)、卒業論文
専門分野日本古代文学、口承文芸、民俗学
主な業績【著書】
○単著
1.『山人・海人伝承と河内王朝』(22世紀アーツ、2021)
2.『万葉の紫と榛の発想―恋衣の系譜―』(アーツアンドクラフツ、2020)
3.『岩木山の神と鬼』(北方新社、2016)
                                 他多数

【論文】
1.「新羅への軍旅祈願―〈大和三山の歌〉から〈熟田津の歌〉へ―」
 (弘前学院大学文学部紀要第57号、2021)
2.「もう一つの「日の御子」の誕生―二皇子発見譚の生成―」(弘前学院大学文学部紀要56号、2020)
3.「万葉の榛の発想」(弘前学院大学文学部紀要55号、2019)
4.「琴と静歌(1)(再稿)」(弘学大語文45号、2019)
5.「琴と静歌(2)-仁徳天皇と石之日売の伝承-」(弘前学院大学文学部紀要54号、2018)
6.「朝妻の御井の歌の伝承-琴と静歌(3)-」(弘学大語文44号、2018)
7.「神の島の歌語り-隠び妻への求愛-」(地域学14号、2018)
8.「琴と静歌(1)-荒れるものの静め-」(弘学大語文43号、2017)
9.「日の御子・大国主と埴輪群像の大王」(弘前学院大学文学部紀要53号、2017)
10.「古代の琴と弓-招魂の弦楽器-」(地域学13号、2017)

 その他記紀万葉の文学に関する研究、北東北や南西諸島の民俗に関する研究多数
その他
(学会社会活動、講演、受賞等)
上代文学会、古事記学会、伝承文学会、日本口承文芸学会、日本民俗学会、世界シャーマン学会他
青森県体操協会ジュニア協議会・顧問 
市民教養講座「古典を読む会」講師 及び 青森県伝統文化活性化マスタープラン「伝統文化総合支援研究委員会」委員(1986~現在)、神社本庁や全国氏子青年協議会主催の「指導神職研修」等の神道関係講師、その他講演多数

研究テーマ

祭祀伝承の形成・古代文学の形成

 時代を遡るほど文学が口頭で語られる傾向が強く、文学の発生もこの口承に基づいております。とくに、「祭祀儀礼(祭り)」の場でうたわれる「歌謡」とそこで語られる説話(神語・伝説)」は、重要です。現在もこのような祭りの現場があるので、それを歴史的、構造的にとらえ、記述しております。その成果の一つが、拙著『沖縄の祭祀伝承の研究―儀礼・神歌・語り―』(2006年・瑞木書房・日本学術振興会出版助成図書)です。
 また、このような実証的な成果を踏まえ、これを古代文学に適用して、その本来の意味や発想基盤を探求している。その最近の成果の一つが、拙著『万葉の紫と榛の発想―恋衣の系譜―』(2020年・アーツアンドクラフツ)です。万葉歌の「紫」の歌はすべてが恋情発想を取っております。この「紫」の歌に恋情発想が伴うべき社会的な基盤として、恋する男女が相逢うときに紫の「恋衣」を身に纏う習俗があったことを解き明かし、その基盤から紫の歌に見られるような恋情表現が獲得された経緯を解き明かしています。
 「榛(はり)」の歌の発想も、ほぼ同じ軌跡を辿っている。そしてこれらの紫と榛の衣の背後に、神事に着用する小忌衣(をみごろも)が控えていることを述べています。
 また、古事記・日本書紀に伝える河内王朝の山海の政の伝承を解明しています。枯野琴(からのこと)の伝承は海の政(まつりごと)=祭事(まつりごと)の代表であり、国栖奏は山の政(まつりごと)=祭事(まつりごと)の代表です。この山海の政が合体して、河内王朝が発展し、様々な変容を遂げながら、豊かな世界を展開させていることを解明しております。その成果の一つが、拙著『河内王朝の山海の政-国栖奏と枯野琴-』(2014年・白地社)です。
 また、北東北に分布する山伏神楽(やまぶしかぐら)の本文を収集して原本文を復原し、論評する研究もしております。その代表的な作品が〈鐘巻〉です。女人禁制の厳しい鐘巻寺(かねまきてら)に旅の女が参詣して鬼にされる話しで、これを「道成寺」と比較し、ジェンダーの視点から論じました。その成果が、『能舞〈鐘巻〉の復原』(2015年、弘前学院出版会)です。
 また、岩木山の神と鬼の研究もしています。岩木山の神の由来譚には、百沢寺と高照神社が丹後日和の由来と連動して語る岩木山権現由来譚、イタコが語るお岩木様一代記、村人が語る三姉妹の神座争い譚の三つがあります。そしてそれらが形成された時代的背景(元禄の大飢饉や岩木山のお山参詣への反発)を論じました。また、津軽の鬼伝承を分類して網羅しました。そして鬼沢の鬼伝承の核心が水利伝承であり、その水利伝承を儀礼化したのが正月行事の七日堂祭だと考えております。その結果が、『岩木山の神と鬼』(2016年、北方新社)です。

オススメの本

書 名桃太郎の誕生著 者柳田国男出版社角川学芸出版
新・桃太郎の誕生野村純一吉川弘文館

 柳田国男の昔話研究は、『桃太郎の誕生』にわかりやすく述べられている。この書名から、日本の代表的な昔話の「桃太郎」の生成が解明できたという柳田の自負がうかがわれます。
 学生時代にこの書物を読み、とても感動しました。桃太郎の原型は信じるべき語りとしての神話にあり、フィクションとしての昔話に変容した、と述べています。桃太郎は神の子であり、爺婆はこの神の子を養う者だという。爺が山に刈りに行った柴は、薪の柴ではなく、神を迎えるための柴だという。また婆が川に行って洗濯した衣は、自分たちの着る衣ではなく、神の子が着る神衣だという。そして桃は邪を払う呪物であり、実の中が空洞で、そこに神霊が宿るという。そういう神の子ゆえに、鬼を退治してそこの宝物をこの世の爺婆などにもたらしているという。
 このように、桃太郎は日常生活から発想されておらず、晴れの生活から発想されていると説く。祭り・神話・昔話・伝説・説話に関心をもっていた私は、これを愛読していました。
 ところが、昔話の全国的な悉皆調査が進むにつれて、この柳田説は苦境に立つようになりました。民間の桃太郎は神の子ではなく、相当ないたずら者・悪太郎でした。彼に退治された鬼にしても、鬼が人々を苦しめたという条は古くはありません。したがって、鬼にとっては、桃太郎の鬼征伐は晴天の霹靂で、大迷惑でした。しかし柳田は、この事実に納得しなかったようでした。そこでこの事実を報告した地方の昔話研究者のなかには、日の目がみられなくなった者もいたようです。
 このような地方の研究者の仕事を再評価したのが、野村純一の『新・桃太郎の誕生』です。柳田を評価しつつ限界も述べて地方の研究者を再評価し、その埋もれ木に花を咲かせております。『新・桃太郎の誕生』はその意味で、花咲か爺さんによって書かれたといえます。
 『桃太郎の誕生』も『新・桃太郎の誕生』も、専門用語にこだわらない文体で、とても読みやすいものです。発想もすごいけれども、この文体のやさしさも肝心なところです。